朝日鉄工株式会社

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スキー部 - Asahi Iron Works Ski Club -


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創部まで

鈴木正敏氏は大正2年1月 北海道宗谷郡稚内町に生まれた。
幼少の頃から運動能力に恵まれ、持ち前の根性と努力によりスキーのノルディック競技において抜群の成績をあげていた。
そのスキーの才能を生かし、昭和4年4月 王子製紙工業㈱に入社する。
昭和10年、翌年ドイツで開催されるオリンピック出場を掛けた第13回全日本スキー選手権大会において、樺太泊居出身の岡山英夫氏に敗れ、オリンピック参加は夢となった。
以降、岡山氏とは永遠のライバルであり永遠の友となった。
昭和14年5月 増成動力工業㈱入社、満州に渡る。

昭和20年6月 満州より引き揚げ、四国の松山、山口県宇部での生活の後、昭和23年1月朝日鉄工㈱を設立する。
当時、スキーをする人は、創業当時から北海道出身者である親戚縁者で、会社のレクリエーションとして始めたようである。
中国地方の各スキー場で開催される大会に参加して、あらゆる賞を独占したと言う。
その後、自身の念願であったオリンピック参加の夢を、社員に託しスキー部を発足したのが昭和26年である。
発足時の部員は、鈴木正敏、大野良一、大野昭一、大野順一、4名であった。
小樽合宿では地元の沢本長一氏がコーチとして指導にあたる。
以後20年間お世話になった。

昭和27年1月 第7回国体スキー競技会に山口県で朝日鉄工スキー部が初参加することとなった。
ある意味で山口県スキー連盟の競技スキーの歴史は、朝日鉄工スキー部の発足から始まったと言っても過言ではない。
また、選手育成のために昭和30年1月寂地峙床に1,000mアルペンコースを開発した。
昭和37年11月から平成5年まで山口県スキー連盟会長に就任し、全日本スキー連盟表彰、山口県知事表彰、文部大臣表彰を受けた。
平成4年11月 勲五等瑞宝章を受章。
平成12年9月6日 享年88才で人生を終えた。

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